久しぶり!

こんにちは,Yです。

昨日SNSをぼんやり見ていたところ,真っ赤なフラペチーノの写真と「新作美味しかった!」のコメントをあわせた投稿があふれていました。

そういえばスタバの新作フラペチーノが出るとか出ないとか言ってたな…
どうやらスイカ味らしいけど,スイカ味のフラペチーノってどんな味なんだろう。

そんな軽率な動機で,今朝スタバに寄ってフラペチーノを購入しました。

ぼんやりしながらフラペチーノをつくる店員さんを見ていると,ペンでカップに何かをかいている様子を見かけ,お!久しぶりだ!懐かしい!と,少しテンションが上がってしまいました。

スタバは,今はシールになってしまいましたが,昔はカップに手書きで商品名をかいて,それをもとに店員さんがドリンクをつくっていました。

そのときにかわいいイラストをかいてくれる店員さんや,メッセージをかいてくれる店員さんがいたりして,そんなカップをもらったお客さんがSNSに写真をアップして盛り上がっていたのを思い出してしまったのです。

今ではほとんど見かけずちょっと寂しい気もしますが,時間短縮とか,ミスがないようにとか,いろいろ事情があるのだろうなとは思います。だからこそなのか,今日の久しぶりの手がきイラストがすごく嬉しかったのです。

ちなみに,今日かいてもらったのはスイカのイラストでした。が,フラペチーノは思っていたよりスイカ味ではありませんでした。
これは私が調べなかったのが悪いのですが,スイカ味はジュースだけで,ドラゴンフルーツとキウイも入っていたのです。思っていたのと少しちがう味でしたが,夏を感じる味で美味しかったです。


さて,弊社は明日から夏休みでございます。
私もいくつか予定がありますが,台風によってどれだけ中止になるのか,逆に楽しみになってきています笑

皆様もくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませ。

Y

投稿日時:2023年08月10日 17時49分24秒

夏期休業のお知らせ

平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら,夏期休業日を下記のとおりとさせていただきます。

夏期休業期間:2023年8月11日(金)~2023年8月16日(水)

ご不便をおかけいたしますが,何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。

投稿日時:2023年07月28日 12時10分53秒

終わりが見えない

こんにちは,Yです。

絶対にかなえたいわけではないけど,できれば一生に一度くらいは経験してみたいことってありますよね。
例えば,47都道府県制覇したいとか,宝くじで高額賞金当てたいとか笑

私にもそういった消極的な夢がいくつかあります。
そのうちの1つが,「山崎育三郎さんの歌を生で聴きたい」です。

私はミュージカルに詳しいわけではないので,失礼ながら山崎育三郎さんはテレビで知りました。 テレビを通してでもこんなに歌がうまいのに,生で聴いたらそれはどれだけの衝撃なんだろう。

そう思い始めて2年ほど経った先日,「ファインディング・ネバーランド」という,山崎育三郎さんが主演のミュージカルを観劇したことで,その夢がかないました。

とても良いミュージカルでした。
特に印象深かったのは,山崎育三郎さん演じる主人公が,周りの人たちから理解されずに落ち込んで,その心の内を吐露する歌唱シーンです。独唱だったので山崎育三郎さんの歌を余すところなく聴けたのがよかったのと,歌がうますぎてあんまり悲しそうに見えなかったのがちょっと面白かったです笑

このとき,一緒に観劇したのは山崎育三郎さん好きの友人でした。
観劇後に「すごかったね」「よかったね」と感想を言い合っていたのですが,最後に友人から衝撃的な一言。

「でも山崎育三郎さんのかっこよさはエリザべートのほうが上かな」

私の消極的な夢が新たにできた瞬間でした。
せっかく夢を1つかなえてすっきりしたところだったのに…!

ミュージカル「エリザベート」は,帝国の皇后と黄泉の帝王の禁じられた愛を描いた話らしいのですが,昨年の公演にて,山崎育三郎さんは黄泉の帝王を演じていたのです。「ファインディング・ネバーランド」の主人公とはかなり方向性の異なる役で,たしかにかっこいいだろうなぁ,と気になって仕方がありません笑

いつかまた上演,出演されるときがきたら観劇に行きたいなぁと思います。
そしてその夢がかなったあとには,また別の作品が観たい!となっているに違いありません。

Y

投稿日時:2023年07月14日 15時38分10秒

中国古典の世界①

こんにちは。Sです。

僕は,歴史に勝るとも劣らないくらい中国古典が好きです。中国古典を読むと,ものごとを見る時の新たな視点を提供してくれたり,自分の固定観念を崩してくれたりする感じがとても面白いからです。それに,悩み事があったり,どうしたらいいか迷うことがあったりしたときに,中国古典を読むと,昔の賢人が自分にそっと寄り添って悩みや迷いを聞いてくれる感じがするのも読んでいて楽しいです。また,僕という人間の本質的な部分が中国古典と相性がいいのだと思います。今回からのシリーズでは、そんな僕がおすすめする中国古典の一節を紹介していきたいと思います。記念すべき第一回目は僕の座右の書である、「菜根譚」洪自誠 著(岩波文庫)にある後集132の一節をどうぞ。

〈書き下し〉
世人は営利の為に纒縛せられて、動もすれば塵世苦海と曰う。知らず、雲白く山青く、川行き石立ち、花迎え鳥咲い、谷答え樵謳うを。世もまた塵ならず、海もまた苦ならず、彼自ら其の心を塵苦にするのみ。

〈現代語訳〉
世間の人々は名利の念に束縛せられているので、とかく此の世を塵世だとか苦海だとかいいがちである。しかしそれは自然の美しさを知らないからだ。空には雲は白く山は青く、川には清らかな水は流れ岩はそばだち、野には美しい花は咲き鳥はよい声で歌い、谷にはこだましきこりは歌っているのを。(この自然の美しさを知れば)この世は塵世でもなく苦海でもない。世間の人々は自分で自分の心を束縛し塵世だ苦海だとしてしまっているだけである。 日々生活をしていると,うまくいかなかったり,思い悩んでしまったりして,後ろ向きな気持ちになることがあります。そんなときにこの一節を読み,少し散歩をすると,気分がリフレッシュされて,新たな一歩を歩むことができます。たぶん,気持ちと身体がリフレッシュされるのだと思います。みなさんは,この一節にどんなことを感じましたか。もし機会があれば,教えて頂けると幸いです。ここまで読んでいただき,ありがとうございます。

投稿日時:2023年06月23日 13時56分35秒

素王の歩んだ道④

こんにちは。Sです。

最近,このブログに書きたいことがたくさんたまってきています。「戦国策」,長平の戦い,楚漢戦争,「司馬懿 軍師連盟」,終わりなき混沌の時代 五胡十六国時代,偉大なる黒くて丸いおじさん宋の太祖 趙匡胤,乞食坊主からの成り上がり皇帝 朱元璋と大軍師 劉基,政治のオーガ 雍正帝,孫文と毛沢東などなど。あるいは,たまには古代ギリシャ・ローマ史も書こうかなぁって思ったりもします。ソクラテス・プラトン・アリストテレスの三点セット,「ローマの盾」クィントゥス・ファビウス・マクシムスと「ローマの剣」マルクス・クラウディウス・マルケルス,パーフェクト司令官 スラ,テレワーク皇帝 ティベリウス帝とかとか。でもあえて,今回も前回に引き続き,孔子の生涯を書いていきます。理由は単純で,面白いからです。前回,孔子の生涯をブログに書いていたら,筆がいい感じに乗ってきたところで,前回は終わってしまったので,今回はその続きから書いていきます。

さて,前回,老子からありがたい言葉をもらった孔子はその後どうなったのでしょうか。孔子は周より魯に帰っていました。礼を学ぶために周の国へ行っていたはずですが,特に具体的な描写はありません。ただ,ここから,孔子は物知り博士的な活躍をすることになります。だから,何か学んだのでしょう,たぶん。当時,魯の国は周囲を晋,斉,楚の勢力に囲まれていました。基本的には,魯は斉との関りを語られることが多いのですが,小国の悲しさというか,実際は全方位平身低頭外交でした。魯の昭公20(前522)年,斉の景公が晏嬰とともに魯にやってきました。この時,斉の景公が魯に来た理由は不明であり,「史記」の斉太公世家も魯周公世家も「魯の郊外に遊猟し,魯を訪問した」としか記載がありません。魯周公世家には「礼をたずねた」とあり,この後の孔子との問答から,お人好しに解釈をすれば,礼の盛んな魯の国に遊学に来たとも考えられます。ちなみに,魯の国は周公旦ゆかりの国であるため,礼が盛んな国としても知られており,「史記」だけでなく,「戦国策」の中でもそのように記述があります(趙の武霊王の逸話など)。話を戻しまして,斉の景公の訪問目的ですが,普通に考えて強制外交の一環だったのでしょう。「遊狩」と聞くと,趣味の狩りでもしていたのかなと思うところですが,前近代で狩りといえば軍事訓練のことです。もちろん,本物の軍事訓練ほどの物々しさではありませんが,意味するところは同じです。相手に与える圧力としては「狩り<本物の軍事訓練<出師(軍隊を出動させること。ただし,まだ戦争状態には入っていない。)」という感じでした。時間は空いてしまいますが,「史記」の魯周公世家には,斉の景公の訪問の五年前に魯の昭公が晋を訪れて前代の葬儀に参列したと記載されています。これは,単に晋の葬儀に参列しましたという意味ではなく,晋の支配下にはいりましたということを意味するので,斉としては強制外交で魯を自分の支配下に置こうとしたのでしょう。もし魯が外国勢力の支配下にはいってしまうと,地理関係的に斉は喉元にナイフを突きつけられている状態になるためです。さて,魯に来た斉の景公ですが,孔子に会うと,こんなことをたずねました。「むかし,秦の穆公は国は小さくて僻地に位していた。それでいて,諸侯に覇を唱えることができたのはどうしてだろうか。」すると,孔子はこのように答えました。「秦国は小さくはありましたが志は偉大で,僻地に位していてもおこないは中正でありました。穆公自ら五羖(百里奚)を挙用して大夫の爵をさずけ,罪人として繋縛してあるなかから起用してともに語ること三日,その賢をみとめてこれに政権をさずけました。このようにしたのでありますから,王者になることもできたのであります。覇者にとどまったのは卑小というべきであります。」すると,景公はよろこんだ。(「史記」中 司馬遷.著 野口定男.訳 平凡社版 中国の古典シリーズ1)この問答はようするに,斉の景公が自身を秦の穆公に仮託して魯は私を覇者として認めるかという問いに対して,孔子が晏嬰を賢者の百里奚に仮託して賢者を用いて国を富ませた斉の景公は覇者どころか王者になるべきお方だと思うとお世辞を言っている箇所になります。実際の晏嬰は百里奚に比肩しますが,秦の穆公は名君であり斉の景公は暗君であるため,この孔子の発言は外交上のお世辞といえます。前回,季氏の臣下である陽虎とのやり取りで,孔子はお世辞が言えない人のように記載しましたが,このようにお世辞が使えることもありました。「論語」でも「史記」でも,孔子は実に人間らしく描かれており,以前にこのブログでも書いたかと思いますが,孔子の魅力はこの人間っぽさにあると僕は思っております。つまり,完璧な人間であろうとするが,時には己の弱さにくじけそうになることがあります。しかし,また前向きに自分の理想に向かって人生を歩んでいくのです。2500年以上の間,人々はその姿に惹きつけられてきたのでしょう。孔子の人生としてはほとんど進めることができませんでしたが,今回はここまでとします。最後まで読んでいただきありがとうございました。次回もご期待ください。

投稿日時:2023年06月01日 10時35分23秒

素王の歩んだ道③

こんにちは。Sです。

最近は私事が立て込んでしまい,ブログを書けていませんでした。しかし,今日は久しぶりに「素王の歩んだ道」シリーズを更新したいと思います。「素王」とは孔子のことです。今回も孔子のかっこいい人生を,みなさんと一緒にみていけたら幸いです。

父と母の合葬を済ませた孔子は,経書を抱えて勉学に励んでいました。そのころ,魯の大夫の季氏が士人を饗応しており,孔子も招待を受けました。ところが,季氏の臣下である陽虎に,孔子が若くて身分の低いことをとがめられて門前払いされてしまいました。ちなみに,この陽虎と孔子は顔が似ていたらしく,後年,孔子はそのせいでトラブルに見舞われてしまいます。さて,陽虎によって季氏から拒絶されてしまった孔子ですが,彼を認めてくれている人はおり,魯の大夫の孟釐子といいました。彼が死の間際に,自分の嗣子に孔子の弟子となるように遺言していました。彼がなくなると,嗣子の懿子と南宮敬叔が孔子のもとで礼を学ぶようになりました。この南宮敬叔は孔子の「七十子」といって,特に優れた弟子として有名であり,論語にも登場します。ここの対比がドラマチックで面白いですよね。政治の世界のトップとはそりが合わなかったが,同時期に自分の学問を不朽の物としてくれる弟子を手に入れていますね。これは僕の憶測ですが,季氏の邸宅に招待された際,陽虎へ取り次ぎに対する付け届けと,彼に媚びた姿勢を見せていれば,孔子は政界の大物とこの時にお近づきになれていたと思います。ただ,この後もたびたび出てきますが,孔子の不器用な性格のせいでそのチャンスを逃してしまいました。個人的な考えとしては,彼にとってはそれが正解だったと思います。話を戻しますと,弟子を得た後の孔子は,いろいろな職を転々としたり,諸国を放浪したりします。孔子はこのような経験を,この後も何度もします。政治家よりも思想家の方が向いていたのかもしれませんね。話は全く変わりますが,孔子は身長が九尺六寸(約2m)もあったらしく,人々から「長人」と呼ばれていたそうです。まあ,これは,中国の帝王によく付随するトンデモエピソードの一つかもしれませんが。先ほど,登場した南宮敬叔の口利きで,孔子は魯の使節として周の国へ行くことになりました。「史記」の書き方では,南宮敬叔が孔子に同行したいと魯の君主にお願いしたから,彼は孔子についていけることになったと書かれていますが,まあどうみても彼が頼んだから孔子は使節として周に行けることになったとしか読めませんよね,今までの経緯的に。それは置いておいて,孔子にとってはあこがれの周の国への訪問ということで,テンション爆上がりだったのではないでしょうか。しかも,この周訪問で孔子はある重要人物と出会ったとされています。それが,このころ周の国の守藏室の史(書庫の記録官)を務めていた老子です。この老子は,あの「老子」を書いた李耳のことです。二人が出会い,何を話したかは伝わっておりません(荘子の逸話などはあり)が,別れ際に孔子は老子から次のような言葉をもらいました。「わしは,富貴なものは人を送るのに財物をもって餞別とし,仁人は人を送るのに言葉をもって餞別にすると聞いている。わしは富貴にはなれない。そこで,仁という名をかりて,そなたに言葉をおくろう。聡明で深く事理を察していながら,死ぬような目に遭うのは,他人を誹議することが好きなものだ。非常に能弁でよく物事にゆきわたっていながら,その身を危うくするのは,他人の悪をあばくものだ。人の子たるものは,我をもっていてはいけないし,人臣たるものも,我をもっていてはいけない」(「史記」中 司馬遷.著 野口定男.訳 平凡社版 中国の古典シリーズ1)これについてもいろいろといいたいことはありますが,今日のところはこの一言でまとめさせていただきます。「かっこいい。」漢文の書き下しもかっこいいですが,漢文訳もかっこいいのが多いですよね。今日のところはこのあたりにしておきます。ここまで読んでいただき,ありがとうございました。続きを楽しみにしていてください。

投稿日時:2023年05月26日 19時02分53秒

いつも月夜に米の飯

 広辞苑(第六版)
 「毎晩明るい月夜で,毎日米の飯が食べられれば,こんな幸せなことはない」


インターネットで調べたころ,電気がない時代は明るい夜と,白い米は貴重だったことから生まれた言葉で,「苦労がない楽な生活」を表すとのこと。
「楽」というのが,白い米を手に入れる苦労なのか,夜に暗い中で作業しなくてよいということを指すのか想像しづらいですが。

また,実際には毎晩明るい月夜にはならない,毎日米の飯は食べられないという実現が難しい願望を表すとのこと。仮定法ですね。

わたくしめは,月が明るいと,ただ気分が良くなるだけですが,
昔の日本人の喜びがどれほどのものだったのか想像できません。
深夜に明るい電気の下でスマートフォンを使える便利さに慣れてしまっているからです。

便利な生活をこれからも享受できますように…。

本年度も啓明舎を何卒よろしくお願い申し上げます。

NK

投稿日時:2023年04月18日 14時47分07秒

最近のうれしかったこと

こんにちは,Yです。

ついにマスク規制が解除となりましたね。
テレビ中継や街中ではたまにノーマスクの人を見かけますが,弊社社員は慎重です。
密室に近い部屋での作業,電車通勤などの事情に加えて,花粉症や黄砂といった季節柄の事情もあるようです。
マスクが取れるのはもう少し暑くなってからかなぁと,何となく思っております。

さて,最近はこのようにコロナ前の状態に近づいたことを多く見聞きします。不安は拭えませんが,うれしいこともありますよね。

というのも,先日,久しぶりの声出しOKのライブへ行ってきたのです。
私は音楽が好きで,年に数回ほどライブに行きます。
12月から2月は月1でライブに行っていたのですが,ちょうど,声出しがOKになってから初めてのライブというタイミングに重なりました。(もちろんマスク等の条件付きです。)

コロナ禍の声なしライブは,お客さんの声がない分楽曲を余すところなく聴くことができたので,そういった意味ではありだなと思っていましたが,3年ぶりに声ありのライブに行くと,「やっぱりこれだな!」と原点回帰したような気分になりました笑

みんなで歌ったり,曲の合いの手を入れたり,最初から最後までとても楽しかったです。

でも,何よりもうれしかったのは,ステージに立つアーティストがうれしそうだったことでしょうか。
コロナ禍でのライブの形で物足りなかったのは,アーティストも同じだったんだろうなと思いました。

さらに,ステージに立つアーティストがイヤモニを外してお客さんの声を聞きながら涙ぐむ場面もありました。
この3年間,思うように活動ができなくてもやもやした日々を送ってきて,それでも頑張ってきて良かった,自分たちがやってきたことは間違っていなかったと,そんなことを言っていました。
もらい泣きするかと思いました。

ふと思ったのですが,コロナ禍になってから人気が出たアーティストの中には,次のライブが初めての声ありライブ,ということもあるのでしょうね。
改めて,すごい時代だなぁと思います。

そんなわけで超楽しかった3年ぶりの声ありライブですが,超楽しかったので楽しみすぎて声を枯らしました。さらに,次の日には「ここ?」というような体の部位が軋んでいました。
3年の間に確実に体力が衰えています。このあともライブを控えていますので,非常にまずいです。

あたたかくなってきたし,まずは地下鉄一駅分を歩くところから体力づくりを始めたい。 そんな気持ちはあるのですが,定期買っちゃったし,どうしようかなと悩んでいる今日この頃です。


ちなみに,行ったライブのうちの1つはバンテリンドームナゴヤでのライブでした。地元民なのに,ドームへの入場は今回が初めてでした。
特にこれといった感想はありませんが,せっかくなので記念に撮った写真を載せておきます。天気が微妙です。


Y

投稿日時:2023年03月23日 16時36分20秒

「編集者」の人気

こんにちは,まごべえです。
3月に入り,すっかり春めいてきましたね。
ポカポカ陽気とともに花粉も到来しているようで,
花粉症の方にはお見舞い申し上げます。

さてさて,
先日,とある教材メーカーのお客さんとごはん(とお酒)をご一緒させていただいた折,
「今って『編集者』を募集してもなかなか応募がないんだよね。。。」
というハナシになりました。
今の時期,「御社の今年の新入社員は?」という質問は
定番中の定番なのですが,
昨今は「応募すら少ない」という現状があるようです。

「人出不足」は出版・編集業界でも深刻なんですね。

自分が就活していたン十年前なら,編集者といえば
「具体的にどんな仕事してるかわからないけど,何となくかっこいい肩書の職業」
みたいなイメージがあったかと思います。
(個人差あります)
本が好きだとか,文章を書くのが好き…という思いでこの業界に足を踏み入れる人は
今でも少なからずいるはずですが,
そこに「ガクサン」という縛りを加えると,
たちまち「該当するもの(人)はありません」なんてことに。。。
東京以外のところで…というのもネックですね。

そもそも教材づくりって不人気…なんですかね。

ひるがえって考えるに,このような仕事がしたいと思えるには
「少なくとも学校の勉強はきらいじゃなかった」的な要素が
まずもって必要だと思います。
「教科書なんて卒業したら見たくもないわ!」という方には
おススメできませんし,そもそもやって来ないでしょう。
その時点でかなり少数派なのかなぁ。。。
教師を希望する人も減ってるといいますし。

でもでも,
ユーザーさんから「この教材のおかげで…」なんて言われることがあるなら,
たちまち
「やっててよかった編集者!」となる…かも。
(タラレバ話でごめんよ)

これから始まる小学改訂でもそんな声をいただけることを期待して,
頑張りたいと思います。

ではまた!

まごべえ

投稿日時:2023年03月09日 14時45分17秒

ところ変われば

こんにちは。まごべえです。
遅ればせながら今年の初ブログです。
最近,弊社のブロガーが増えたようで,何とも心強いです。

さて今回はYが書いてくれた前のブログを(勝手に)受けて,
「わたしの好きなものシリーズ」第2弾
紙の地図好きの話をしたいと思います。

地図にも,日本地図,世界地図,地形図などいろいろありますが,
今回は世界地図に絞ってみます。

子供のころから世界地図を見るのが好きでした。
家の自分の部屋には世界地図(周りに国旗が並んでいる)を貼っていました。
部屋には親戚が買ってくれた地球儀もありましたが,
こちらは早いうちから何となく部屋のオブジェと化していました(笑)。
世界地図が好きだったわけを考えると,
「色がカラフルだから」かなぁと思い当たります。
今でも色鮮やかなポスターやポストカードが好きなんで。
「三つ子の魂,百まで」ってやつですかね。。。

もう20年以上も前のことですが,弟が仕事でオーストラリアへ行くと聞いて,
「おみやげは(何がいい)?」ときかれる前から
「世界地図買ってきて」と頼んでいました。
はじめは「また兄がヘンなこと言い出した」と思ったようですが,
その理由を説明したところ,「探してみるわ」と承知してくれました。

そして買ってきてもらったのが,こんな地図です。


わかりにくいかもしれませんが,さかさまです。
オーストラリアがほぼ中央に描かれているのはともかく,
南半球が上,北半球が下になっています。
この地図,Down Under Mapというそうです。
―これが欲しかったんだよ~。

帰国した弟に「さがすの,大変だった?」ときくと,
「普通にお土産屋に何種類かあった」とのこと。
買ってきてくれた地図もきちんと折りたたんであって封筒入りでした。
お土産としてそこそこ有名なようです。

コロナが収束したら海外旅行,行きたいなぁ。。。 ―まずはパスポートの期限のチェックからですね。

ではまた!

まごべえ

投稿日時:2023年02月08日 14時21分32秒
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