2020年は何の年?

こんにちは。Sです。

皆さんにとって、2020年は何の年ですか。

人によって、いろいろ思うことはあるかと思いますが、

三国志好きにとって、2020年は魏の建国から1800年目なのです。

ところで、三国志には2種類あることはご存知ですか。「正史 三国志」と「三国志演義」です。

「正史」とは、中国の王朝が正統と認めた歴史書のことで、

「三国志演義」は、史実に基づいた小説です。

近年、中国では、「正史」と「演義」を織り交ぜた三国志の大河ドラマが放送されました。

「三国志~three kingdoms~」という題名で、

レンタルビデオ店などで見ることができ、

是非、見てほしいので、今回は三国志とこの作品の魅力を語らせてください。

この作品が、それまでの三国志とは違うところは、

「三国志演義」に「正史 三国志」の要素を加えて史実に近づけたうえで、

監督の新解釈が加えられている点にあると思っています。

僕の好きなシーンの一つに、

赤壁の戦いに敗れた曹操が配下の前で失敗の原因を語るシーンがあります。

「失敗はよいことなのである。失敗が成功の方法を教えてくれる。

失敗がいつか我らを勝利に導き、失敗が天下を取る方法を教えてくれるのだ。

ことをなすには恐れずに進み、結果を気にかけてはならない。」

僕の知る限りでは、今までの三国志では、

曹操が自身の失敗について語っているものは少なかったと思います。

ところが、「正史 三国志」を見てみると、曹操が自身の失敗の原因を分析して配下に語り、

失敗の原因を客観視させることで、次に同じ失敗をしないとともに、

同じ論理の失敗をしないことを配下に主張をしている場面が多々見られます。

(たとえば、宛城の戦いの後など)

また、曹操は自身の失敗だけでなく、他者の失敗や自身の成功についても、ことあるごとに、

論理的に分析して配下に説明し、頼りがいのある君主であることを演出しています。

加えて、これは、自身で著した「兵書接要」という兵法書を配下に配り、

配下の教育をしていたことから、類推した個人的な考えですが、

配下の教育的な意味もあったと思っています。

今までになかった新しい三国志が見られて、とても面白いので、初めて三国志を知る人も、

以前から三国志が好きだった人も、「三国志~three kingdoms~」を見てみて下さい。

投稿日時:2020年09月28日 09時52分59秒

とある偉人の物語

こんにちは。Sです。

皆さん、突然ですが、「がんをつくった男」と呼ばれている人をご存知でしょうか。

その名も、山極勝三郎。

人工発がん実験に世界で初めて成功し、がんの治療に大きく貢献した人物です。

世界中のがん研究の研究者が読む教科書の「The Biology of Canncer」の冒頭にも

山極の研究が紹介されています。

今回は、NHKで放送中の「歴史秘話ヒストリア」を見ていて

最も感動した回についてお話させていただきます。

山極が人工発がん実験を始めたのは、1907年のことでした。

当時、がんの治療法はなく、発生の原因すらわからない不治の病でした。

山極はがんを人工的につくりだすことで、がん発生のメカニズムを明らかにして、

治療法を確立することを目指したのです。

ところが、山極の実験方法はあまりにも地味、かつ単調なものであったことに加えて、

途中で成果がほとんどでないものでありました。

そのため、助手も次々にやめていってしまいました。

それでも、山極はあきらめずに実験を続けました。その期間は、なんと8年。

この結果を世界の医学界も高く評価し、

ついには日本人初のノーベル賞受賞も視野に入ってきました。

しかし、実際には山極は受賞できませんでした。

この時、受賞したのがヨハネス・フィビゲルという、

山極と同じ人口発がん実験に成功した人物でした。

ところが、フィビゲルの実験方法には誤りがあり、

実際にはフィビゲルの方法では,がんをつくりだせないことがのちに判明しました。

そして、山極の死後から36年後の1966年に日本で

第9回国際がん学会が開かれました。

そこに、山極のノーベル賞の審査に関わった研究者が出席しており、

次のように語ったといわれています。

「あの時のノーベル賞は日本人とデンマーク人が分け合うべきだったと思っています。」

この回で最も感動したのは、山極の研究に対する姿勢です。

それは、あきらめないこと、前に進み続けること、そして、自分を信じぬくこと。

山極に興味を持っていただいた方は、現在、NHKオンデマンドでこの回を視聴できますので、

ぜひ、ご覧になってください。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

投稿日時:2020年07月21日 18時19分05秒

ブログ事始

初めまして,Sです。僕は歴史が好きで,人に話したい歴史の話がたくさんあります。しかし,今までそのような機会があまりなく,話したことがありませんでした。ところが,このたび,弊社のブログを担当する一人となったため,皆さんにも歴史に興味を持っていただきたく,この場を借りて思う存分語ろうと思います。

 

現在,大河ドラマでは「麒麟がくる」を放送しています。僕は今回の大河ドラマでどう描かれるか楽しみにしていた戦いがあります。それは,4月19日放送の第14回で扱われていた村木砦の戦いです。そこで,今回はこの戦いについて紹介したいと思います。

 

この戦いの主人公,織田信長は若いころ,周りから「うつけ」と呼ばれて重臣からも軽くみられていました。そこで信長は主に家臣の二男や三男など,家督を継ぐことができないものをスカウトし,自分の親衛隊を組織して軍事訓練をしていました。前田利家もその一人といわれています。そんな中,今川氏から織田氏へ寝返った水野氏の緒川城を攻略するため,今川氏が村木砦を築きました。信長は水野氏を救うために出兵しますが,筆頭家老の林秀貞・美作守兄弟が出陣を拒否するなど,味方の離反があり大変苦戦をいたします。しかし,信長が育てた数多くの家臣の活躍もあって,9時間にも及ぶ激戦の末,村木砦を陥落させました。この時,信長は本陣に帰ると,家臣の働きや負傷者・死者のことを語りながら涙を流した,と「信長公記」には記されています。この涙は,重臣たちが信長に疑いを持って離れていく中,最後まで自分を信じて戦ってくれた家臣たちへの思いと,これまでの苦労を思い出して流れたもの,と僕は解釈しています。

この戦いは,専制君主の信長が見せた人情味あふれるエピソードとして,僕が特に好きなものの一つです。

ここまで読んでいただき,ありがとうございました。

 

投稿日時:2020年06月15日 11時09分51秒
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