『論語』と孔子

こんにちは。Sです。

今年の大河ドラマ「青天を衝け」が先月から始まりましたね。主人公の渋沢栄一は「日本資本主義の父」とも呼ばれており,代表的な著作に『論語と算盤』があります。この本については守屋淳さんの抄訳(ちくま新書)や100分de名著の4月の名著としても紹介されています。ところで,『論語』とはどのような作品か,みなさんご存じでしょうか。この本は,儒学の始祖とされる孔子の言行録を,孔子の死後に弟子たちがまとめたものです。その教えは日本人にも大きな影響を与え,その痕跡が現在の日本語にも多く残されています。例えば,「温故知新」や「不惑」などがあります。

『論語』は儒学の重要な書物ではありますが,儒学の経書である「五経」に含まれていないことは御存じでしょうか。「五経」とは,儒学の基本経典として最も尊重された五つの書物の総称で,『書経』,『易経』,『詩経』,『春秋』,『礼記』がそれにあたります。ちなみに余談になりますが,経書があれば緯書もあるのかといえば,実はかつて存在していました。緯書は前漢末から後漢にかけて作られた書物で,儒教の経義に関連させながら予言・禍福・吉凶などを説いたものです。『三国志』を好きな方ならご存じかもしれませんが,袁紹の弟袁術が皇帝に即位する際に口実とした「漢に代わる者は当塗高なり」ということばは,『春秋』に関する緯書の中にある予言のことばです。しかし,緯書はのちに禁書となって,今は逸文だけが伝わっています。余談ついでにもう一つ申しますと,昨年から本年度にかけて放送されていた「麒麟がくる」の「麒麟」はもともと,王が仁政を行うときに現れる神聖な生き物として『礼記』にでてきます。さらに,『春秋』左氏伝は,孔子が生きていた時代に麒麟が現れたのですが,捕らえた人々が平和の象徴である麒麟とは知らずに打ち捨ててしまったことを孔子が惜しんで筆を擱くことで終わっています。これが物事の終わりを表す「獲麟」の語源です。

『論語』は「五経」に含まれないというところまで話を戻します。この『論語』を「五経」と並ぶ儒学の重要経典としたのが,南宋の儒学者朱熹でした。朱熹は『論語』,『孟子』,『大学』,『中庸』をまとめて「四書」とし,「五経」に先んじて読むべきとしました。朱子学では「四書」をテクストとして尊重し,やがて朱子学が国学になると科挙の出題科目にもなってそれまで以上に重要視されるようになりました。ただし一言付け加えると,科挙の出題科目となったり,江戸時代には朱子学が幕府の御用学問になったりしたことで,『論語』がこれまで以上に重要視されるようになったことは事実ですが,『論語』はその前から広く親しまれており,長い歴史の中で東アジアの文化に大きな影響を与えた本でもあります。

ここまで,なぜとりとめもなく『論語』について書いてきたのかというと,次回以降,孔子の生涯について書きたいと思っているからです。そのため,『論語』がいかなる書物かということを変化球気味にここまで語り,みなさんに興味を持ってもらい,それから孔子の話をしようと思ったからです。ちなみに,『論語』を読む際の入門としておすすめなのが,『まんが 森哲郎『論語』完全入門』(講談社)。この本は,論語の1文ずつの解説と教訓を4コマ漫画仕立てで紹介しているものになります。『論語』に興味を持った方はぜひ一読してみてください。

投稿日時:2021年03月16日 11時28分20秒
ページトップへ