読書のすゝめ

 こんにちは。Sです。

 もう間もなく、年末年始ですが、皆さんはどのようにして過ごす予定でしょうか。

僕は、休みの日はいつもそうですが、読書をして過ごそうと思っています。

自分もそうしようと思った方にお勧めの本があります。『ソクラテスの弁明』です。

ご存知の方もいるかもしれませんが、この本はプラトンが書いた哲学の本です。

哲学の本は難しそうと感じるかもしれませんが、この本はプラトンが書いたものでは最も読みやすい部類に入る本であり、本文のページ数も100Pほどなのでご安心ください。

これを聞いてこの本を読もうと思った方がいたら、この本の楽しさ、そして、読書の楽しさが100倍実感できる方法があるので今から紹介する方法を実践してみて下さい。

 

 まずは、岩波文庫の『ソクラテスの弁明 クリトン』を、次に、光文社古典新訳文庫の『ソクラテスの弁明』を読んでみてください。そして、you tubeの東大TVに上がっている納富信留教授が『ソクラテスの弁明』を解説した講義を聞き、もう一度、2冊を読み比べてみてください。

名著と呼ばれる本の奥深さに圧倒されると思います。

 

 ただ、この文だけでは、ピンと来ないと思うので、一つ例をあげておきます。

次の文章は、光文社古典新訳文庫の『ソクラテスの弁明』の冒頭です。

 

「アテナイの皆さん、皆さんが私の告発者たちによってどんな目にあわれたか、私は知りません。」

 

 『ソクラテスの弁明』は、メレトス、アニュトスらに「無実の罪」で訴えられたソクラテスが裁判上で自らの弁明をするという内容です。

 ここで、ソクラテスは「アテナイの皆さん」と呼びかけています。アテナイの裁判では市民から選ばれた人々が裁判官となって裁判を行います。呼びかけている相手は裁判官であり、「裁判官諸君」と呼びかけるのが当時の慣習なのですが、あえてソクラテスは「アテナイの皆さん」と呼びかけているわけです。これは、「無実の罪」で訴えられた自分に対して正しい判決を下せるかどうかで、裁判官として資格があるかが分かるのであって、アテナイの市民の中からくじで選ばれただけで、裁判官の席に座っているあなたがたにその呼称がふさわしいか判断できない、ということをソクラテスは主張しているわけです。つまり、この裁判ではあなたたちに裁判官としての資格があるのかということも同時に問われているのだ、という主張をソクラテスはこの一言で示しているわけです。

これは、同時にアテナイ市民としての生き方への問いにもつながり、後半の言葉によって、その重みが増していくわけですが、ここから先は、みなさんで読み進めながら確かめてみてください。

 

こんな年越しが一生に一度くらいはあってもいいと思った方は書店や図書館に行って、上記の2冊を手に入れて、実際に読んでみてください。

 

投稿日時:2020年12月07日 10時18分14秒
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